具体派と抽象派の意見はいつまでも平行線なのか
批判を恐れない「具体的な要請」に感銘を受けた、というお話
新型コロナウイルスの感染拡大が続いております
読者の皆さんの生活も大きく変わり、少しずつ「新しい生活様式」に慣れてきた今日この頃ではないかと察する所です。心置きなく海に行きたいっ_| ̄|○
そんな中、先日、大阪府の吉村府知事より「5人以上の飲み会は控えて欲しい」と言った府独自の自粛要請があったことを受け
「5人の根拠は」「8人を4、4人のテーブルに分けたらいいのか」「5人家族だったらどうするんだ」
などの否定的な意見もあったそうです
先日から読んでおります、具体⇄抽象トレーニング
この中に同じような問いがあり、
「この問題こそ具体⇄抽象トレーニングにぴったりな問題だな」と感じて自分なりに考えてみました
医学的な観点からは「感染症拡大のためには人との接触を減らす必要がある」これは抽象的ではありますが、現時点で間違いないとされている対応方法です
しかし、飲食、宿泊業を筆頭に経済の回復を目指すなら人と人との接触は免れない
だから利用者側は「テーブルを拭くとか、感染対策してね」と希望し、店側は「体調の確認をよろしくね」
と言ったような抽象的な対応を示しつつ経済活動を行おうとします
そんな中この再度の感染拡大
感染がどのような経緯で起こったのかを分析するために具体的なデータを「パターン化」することで抽象的な共通項を探し、対策を練ります。患者の年齢、性別、職業、感染場所、行動履歴
これにより「〇〇は危ないよ」などと言ったメッセージが発信される訳です
これに対し、大阪府知事は「5人以上の飲み会は自粛してほしい」と発信
否定的な意見は上記した通りです
「大人数での飲食をやめてほしい」というのは抽象度の高い要求です
大人数の線引きも曖昧だし、飲食も抽象的ではあり、「これなら食べていいか」「これなら飲んでいいのか」と
抽象的なお願いに対してなされるこうした具体的な意見や批判に「5人以下でお願いします」と言い切った府知事
具体というのは枝葉の先の先にあるたった一つのものに限定されていて、ほとんど同じ意味なのに隣の枝葉とは似て非なるものとされます
今回のことで言えば「5人以下でお願いします」→「6人以下でお願いします」という意見
この意見に変更しても必ず批判が出るはずです
抽象的で「どうとでも取れる」という自由度の高い意見というのは大阪府に住む880万人もの人が住んでいればそれぞれの主観や解釈によって受け取り方を変えることができます
そのため、あえて抽象度を下げて具体化することで実際の行動を取りやすくしたんだと思いました
実際に
吉村知事「(5人以上の飲み会をすることで)罰則などはありません。なんとか5人以上の趣旨をくみとってほしい。あくまでもお願いです」
2020年7月28日 Yahoo!ニュースより抜粋
本人もこのように述べており、具体化することで生じうる批判も織り込み済みのようです
抽象的な意見と具体的な意見の対立はどこまで行っても平行線のままです
このニュースに対して僕はどちらの「意見」が正しいということはとても言えません
しかし、吉村府知事が「具体⇄抽象」を行き来して、なんとか全ての府民の命と府の経済どちらも守るため、より多くの府民に伝わるような形はないだろうか、と思案したプロセスと決断、行動に関して僕は率直に「知恵と勇気がある方だな」と感じました
このご時世、なかなか不用意な発言がしづらくなり、抽象的な表現しか許されない雰囲気がある中、具体的なことを口にできる府知事の思考力とメンタルに感銘を受けた出来事でした
ではまた!
らこ太