らこ太の勝手に自己啓発!−一駅分の暇つぶし−

自分が学んだ小さなことを発信する短編ブログです

このブログを書くのは「らこ太」じゃなきゃダメなんですよ!

今日は日記的記事であり、反省文であります

人の意見はよく噛んで飲み込みましょう。そして表現しましょう。そんなお話

 

先日、久しぶりに僕にとっての学びの師にお会いする機会がありました

 

新型コロナウイルス感染症はまだまだ終息する気配を見せない中、移動制限解除と言う段階まで来たので、心置きなくカフェで話をすることとなりました

 

知のやり取りはとても有意義な時間で「勉強になった」と言うよりは「頭が整理されてすっきりした」と言う感覚の方が大きいでしょうか

 

師とのやり取りはいつも一方通行で僕と師の発言を文字におこすと90:10と言う割合です(^^;;

 

ほとんど僕が喋っている・・・

 

そのやり取りの中、大いに反省をする事があったので記事にします

 

 

僕は自分のことを「吸収力がある」「素直に人の話を聴ける」人間だなぁと思っていて

 

これはポジティブな面だと思っています

 

一方で「鵜呑みにしてしまう」「人の意見をそっくりそのまま自分の意見にしてしまう」と言うネガティブな側面もはらんでいる性質で

 

それによって失敗した経験もあります

 

例えば、僕は看護師として勤務しています

 

もう数年も前の話になりますが、

 

「看護師ってどんな仕事」と言う題で講義を頼まれた事があります

 

その際、ある人が言っていた「看護師とは?」と言う意見をそのまま講義の中で話し、その講義後、数人から「あれはないよ」と苦言を呈された記憶があります

 

今振り返ってみて自分が現在思っている「看護師とは?」と言う意見とも相違があるし、その意見は確かに客観的にもどうかな、と言う思いです

 

自分の今の意見と相違があるとはいえ、その意見自体が完全に悪かったとは思いません。ある意味では正しいところもあると思っています

 

その講義をしたときに苦言を呈されたのは内容そのものについて、と言うこともあると思いますが、それ以上に僕の話し方に違和感を覚えたからではなかったかなと思います

 

ここで言う「話し方」はスキルの問題ではありません

 

言行一致していなかった

 

真に自分の意見として話せていなかったから誤った意見だと言う印象を与えた

 

そう感じています。当時は自分の意見として話していたつもりでも、やっぱりそう言うところは伝わるのかなと

 

このように僕は往々にしてこの人の意見がそのまま自分の意見になってしまう、と言うところはあります

 

これは7つの習慣で紹介される

「刺激と反応の間のスペース」と構造が似ているなと感じました

 

A(例えば陰口を言われる)と言う事象が起きる、その事象に対してB(例えば落ち込む)と言う反応をする自分がいる

 

しかし、Bと言う反応をするのはAのせいではなく、Bと言う反応を自分が選択しただけ

 

別のある人はC(例えばイライラ)と言う反応をしたりDやEと言う反応をするかもしれない

 

だから刺激と反応の間にスペースがあることを意識する事が主体的に生きることになるんだと

 

その意味で言うと知識という刺激とアウトプットと言う反応の間にスペースがあることを意識できていないのが僕なんだなと思いました

 

そこにはスペースが存在していて、いわゆる咀嚼(噛み砕く)したり、飲み込む事ができるんだと

 

その過程を経ずして「僕の意見です」と言うのはあまりに短絡的であると反省しました

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師に言われたのは、僕のブログ記事は要約であって、らこ太くんの思いが反映されていないと

 

読書を通して、いろいろなことを考え、いろいろなことを感じているはずなのに、それがらこ太くんの頭の中で終始していてアウトプットされていない事がもったいない、と

 

猛烈に反省しました

 

「いい記事書いたー」と言う手応えがある記事もある中、

 

確かに読み返すと「で、らこ太くんはどう感じたの?それを知ってどう活かすの?どう行動するの?」ってツッコミたくなる記事ばかりでした

 

「読んだ内容をわかりやすく伝えたい」

 

このブログにはそのような意図もあるので自分としては半分正解かなと

 

しかし、ブログという媒体を通して発信する以上、読者がいるわけで、そこに「らこ太が書いた」が表れてこないと僕のブログを閲覧する価値はないな、と思いました

 

僕は過去の記事でも話したように、また記事を読んでもらえればわかるように、恐ろしいほど凡人です

 

それでも凡人Aなりに考えた事、感じたことを発信していかないとこの記事はらこ太が書かなくてもいい、と言うことになるわけです

 

それは単純に嫌だなって思いました

 

僕は特別な人間になりたいと思ってはいないです(高校生くらいまでは「有名になりてー」とかありましたけどねw)

 

しかし、個性は反映していきたい

 

「らこ太くんはそう考えたんだ」が伝わるようにしたい!

 

そんなことをためらうことなく伝えてくれる人がいることに感謝しつつ、今後の記事は更新のペースが遅くなったとしても「この記事で僕の思いが伝わるだろうか」「著者(らこ太)の個性が反映されているだろうか」

 

こう言ったことを自問してからアップしていきたいなと思いました

 

試行錯誤の先に成長が待っていると信じてブログを継続していきたいと思いますので今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m

 

ではまた!

らこ太