らこ太の勝手に自己啓発!−一駅分の暇つぶし−

自分が学んだ小さなことを発信する短編ブログです

具体派と抽象派の意見はいつまでも平行線なのか

批判を恐れない「具体的な要請」に感銘を受けた、というお話

 

新型コロナウイルスの感染拡大が続いております

 

読者の皆さんの生活も大きく変わり、少しずつ「新しい生活様式」に慣れてきた今日この頃ではないかと察する所です。心置きなく海に行きたいっ_| ̄|○

 

そんな中、先日、大阪府の吉村府知事より「5人以上の飲み会は控えて欲しい」と言った府独自の自粛要請があったことを受け

 

「5人の根拠は」「8人を4、4人のテーブルに分けたらいいのか」「5人家族だったらどうするんだ」

 

などの否定的な意見もあったそうです

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先日から読んでおります、具体⇄抽象トレーニン

 

この中に同じような問いがあり、

 

「この問題こそ具体⇄抽象トレーニングにぴったりな問題だな」と感じて自分なりに考えてみました

 

 

医学的な観点からは「感染症拡大のためには人との接触を減らす必要がある」これは抽象的ではありますが、現時点で間違いないとされている対応方法です

 

しかし、飲食、宿泊業を筆頭に経済の回復を目指すなら人と人との接触は免れない

だから利用者側は「テーブルを拭くとか、感染対策してね」と希望し、店側は「体調の確認をよろしくね」

と言ったような抽象的な対応を示しつつ経済活動を行おうとします

 

そんな中この再度の感染拡大

 

感染がどのような経緯で起こったのかを分析するために具体的なデータを「パターン化」することで抽象的な共通項を探し、対策を練ります。患者の年齢、性別、職業、感染場所、行動履歴

 

これにより「〇〇は危ないよ」などと言ったメッセージが発信される訳です

 

これに対し、大阪府知事は「5人以上の飲み会は自粛してほしい」と発信

 

否定的な意見は上記した通りです

 

「大人数での飲食をやめてほしい」というのは抽象度の高い要求です

 

大人数の線引きも曖昧だし、飲食も抽象的ではあり、「これなら食べていいか」「これなら飲んでいいのか」と

 

抽象的なお願いに対してなされるこうした具体的な意見や批判に「5人以下でお願いします」と言い切った府知事

 

具体というのは枝葉の先の先にあるたった一つのものに限定されていて、ほとんど同じ意味なのに隣の枝葉とは似て非なるものとされます

 

今回のことで言えば「5人以下でお願いします」→「6人以下でお願いします」という意見

 

この意見に変更しても必ず批判が出るはずです

 

抽象的で「どうとでも取れる」という自由度の高い意見というのは大阪府に住む880万人もの人が住んでいればそれぞれの主観や解釈によって受け取り方を変えることができます

 

そのため、あえて抽象度を下げて具体化することで実際の行動を取りやすくしたんだと思いました

 

実際に

吉村知事「(5人以上の飲み会をすることで)罰則などはありません。なんとか5人以上の趣旨をくみとってほしい。あくまでもお願いです」

2020年7月28日 Yahoo!ニュースより抜粋

 

本人もこのように述べており、具体化することで生じうる批判も織り込み済みのようです

 

抽象的な意見と具体的な意見の対立はどこまで行っても平行線のままです

 

このニュースに対して僕はどちらの「意見」が正しいということはとても言えません

 

しかし、吉村府知事が「具体⇄抽象」を行き来して、なんとか全ての府民の命と府の経済どちらも守るため、より多くの府民に伝わるような形はないだろうか、と思案したプロセスと決断、行動に関して僕は率直に「知恵と勇気がある方だな」と感じました

 

このご時世、なかなか不用意な発言がしづらくなり、抽象的な表現しか許されない雰囲気がある中、具体的なことを口にできる府知事の思考力とメンタルに感銘を受けた出来事でした

 

ではまた!

らこ太

日々成長するための”芯”を持った生き方を体現するイチロー

元メジャーリーガー・イチローの言葉や思考には揺るぎない原則を感じる、というお話

 

まだまだ読んでおります、イチロー・インタビューズ

 

毎日チビチビと読み進めているのですが、この本、本当に誰しもが読むべきだなって思うんです

 

なぜかっていうと、イチローの言葉や行動にすべて一貫した”原則”や”芯”があるなと痛感できるからです

 

この本を職場で読んでいると「イチローは別格だ」とか「イチローは次元が違うから参考にならない」っていう言葉を掛けられるんですけど、イチローはどこまでも「人間臭いな」ってほっこりする自分がいるんです

 

1人の人間として、「昨日の自分より少しでも前に進んでいたい」と思う人にとって”原則”とか”芯”あるいは”信念”みたいなものがどれだけ価値のあるものか分かると思います

 

それを”行動”という目に見える形で表現し続けているのがイチローなんだなと本当に勇気づけられます

 

「こうはなれないな・・・」と苦笑いしそうになる時もありますけど、本当に背筋を正される一冊です

 

もう一言一句漏らさず伝えたい。全文コピペしたろか!って思うほど素敵な言葉の数々です

 

そんな珠玉の言葉の中から

 

そんな所まで原則が行き届いてるのか!と本を読みながらイチローの一貫した思考に対して、感心からの安心してニヤニヤ、という不思議な気分になる文章があったので紹介させてください

 

ワールド・ベースボール・クラシック(通称WBC 国別対抗の野球の世界大会)の第1回大会が行われる前のこと、ユニフォームに初めて袖を通した時のこと

 

プロ野球選手として、勝つだけではなく、綺麗だなとか凄いなと感じてもらえるようなプレーをしたい

 

イチローはそう話していた。意識の中から薄まっていく大事なものというのは、そういう美意識のことを指しているのだろう。彼は「日本人にはこのほうが似合うと思う」とも話していたが、ダボダボのパンツが流行ったり、ストッキングどころかスパイクのカカトまでが隠れてしまうような穿き方をしている選手が増え、日本のプロ野球選手のユニフォーム姿がスタイリッシュでなくなっていたことを、どこかで嘆いているように思えた。

 

「野球の人気を考えるのならば、プロ野球選手たちがどういう立ち居振る舞いをするかは大事です。子どもたちに対しては、勝つだけじゃなくて、カッコいいなぁと思ってもらえなければダメなんです。真摯に野球のことを考えている選手たちが集まって、それで勝てれば、子どもたちが野球のほうを向いてくれるきっかけになる可能性は十分にあると思っています。そういう舞台に選ばれるのは名誉なことですし、それが世界一を決める舞台ならばなおさら出たい、という想いはありました」

 

 

この本を読むまではイチローの視点のベクトルは自分だけに向いていて、目標達成や野球のことだけをストイックに考えていると思っていたんです

 

確かにそういう時期があったり、7年周期で波はあったりすると書いてあるんですが、

 

「プロとしてどう見られるか、どうあるべきか・・・プロとは美しくあるべきだ」と言った原則に立って考えると、ユニフォームの着こなしひとつとっても一切妥協しない

 

この姿勢は「さすがプロだな」という感心の後に「イチローらしいな」とほっこりすらしてしまいました

 

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このようなほっこりが随所にあって、この文章を書く直前にもこの本を読んでおりましたが、

声を出して「へへっ」っと1人でニヤつく部分が3箇所くらいありましたw

 

それくらいイチローの「人間臭い」ところが満載です。また素敵な言葉を共有していきたいと思うのでよろしくお願いします( ^ω^ )

 

ではまた!

らこ太

「具体」と「抽象」の世界とは、まさに「パラダイムの違い」そのものである

「具体」と「抽象」では見える世界が異なる。しかし、その世界はトレーニングによって行き来ができるようになる、というお話

 

お久しぶりです。本当に久しぶりで、こんなに更新の間が空いたのはこのブログ開設以来初ではないでしょうか

 

おかげさまで文章を書いている今も、冒頭の「〜というお話」の部分を決める時点で書くのがヘタクソになったな、と実感しております

 

文章を書くこともスポーツに似ているんでしょうかね

 

さて、以前より読み進めております、「具体⇄抽象」トレーニン

 

これを記事にしようと思うのですが、「めっちゃ面白い!」と同時にまぁ難しいこと難しいこと

 

「抽象って何?」「具体って何?」という根本的な問いから、具体と抽象を生きる人には世界がどう見えていて、お互いどんな軋轢を生んでいるのか、など本当に目からウロコのことを学べる良書です

 

そもそも「具体的に説明してよ」とか「抽象的すぎて分からない」的な言い回しで日常から良く使う言葉であるにも関わらず、その言葉自体を意識したことなかったので、多分皆さんも読んだらびっくりするくらい「そんなこと考えたこともなかった〜」と感じるはずです

 

だからこそ、こんな素晴らしい本、内容を紹介したいところなのですが、この本のサブタイトルを良く見てみてください

「思考力が飛躍的にアップする29問」です

 

そうなんです。随所に「具体と抽象」という観点から考えてください

 

と読者に対して本当に演習問題と称してトレーニングをしてくれるんです

 

読んで「あー勉強になった」で終わる本ではないんです

 

読んで、考えて、書き出してなんぼ

 

つまり、僕が言いたいのは

 

「とりあえず買って読んでみて!」ということです。まとめるのを放棄したくなるくらい伝えるのは僕の小さな頭では難解です(^^;

 

でも読めば分かる。「あーなるほど」となるはずです

 

というわけでそんなお伝えしづらい内容の中で僕が印象に残った部分をお話しすることで学びを共有したいなと思っています

 

 

例えばあなたがコンビニチェーン店のオーナーで3店舗経営しているとします「A店とB店はスイーツの売り上げが好調なのにC店は売り上げが伸びないな」という問題を抱えています

 

あなたがまずこの問題を解決しようとするときにするのは「じゃあA店とB店に置いてある商品と全く同じものをC店に置こう!」としますか?

 

すぐに問題解決に動くわけではなく、「そもそもC店のスイーツの売り上げが伸びないのはなぜだろう?」と問題の発見をしようとしませんか?

 

「C店ではスイーツ(具体①)のほか、サンドイッチ(具体②)と紅茶(具体③)、などの売り上げが伸び悩んでいる」

 

3つの具体的な事象からそもそもC店のエリア周辺のことを見渡すと工場が多く、力仕事をする男性客の利用が多い(抽象)ことがわかりました。

 

「C店ではおにぎり(具体④)、インスタントラーメン(具体⑤)、炭酸飲料(具体⑥)の売り上げは好調だ。それは力仕事をする男性客が多いことが関係していたのか」

 

これがいわゆる抽象化の「まとめて一つにする」「分類する」「線引きする」「都合の良いように切り取る」「見えない線を繋ぐ」といった働きです

 

この行為によって問題を同定し

 

「じゃあどのように売り上げを伸ばして行こうか?」という行動に移るための具体化という作業によって問題を解決に導きます

 

このように問題に対して、抽象化、具体化を操ることでより高い効果を上げることができるようになるわけですね

 

こう言った思考力を養うために本書を読むことを通して考えることで、思考力を鍛えていきます

 

つまり、僕ができるのは紹介まで!あとはぜひ購入してください!もちろんマージンなんてありませんよ。ただ本当にいい本なので手にとって欲しいだけです(^^;

 

そして実はこの、物事を「抽象レベルで考える」「具体レベルで考える」という視点の違いによってコミュニケーションギャップや軋轢も生じてくるのだと著者は話します

 

具体という世界に生きる人と抽象という世界に生きる人の見え方の差があるのだと

 

言わずと知れた

踊る大捜査線」の青島警部補が事件を目の前にしてなかなか行動を起こそうとしない上層部に物申す名ゼリフ

「事件は会議室で起こっているんじゃない。現場で起こってるんだ!」

 

ドラマなので会議室で上層部が話しているのは警察組織の保身だったり、メンツに関することであるわけで、”悪”のように描かれますが、実際には抽象的な立場、俯瞰した視点から「今必要なこと」を必死で考えていると思うんです

 

でも、実際犯人と目の前で対峙している現場からすると「グズグズしている暇はないんだぞ」とストレスになる「上は本当に現場のことがわかってない」と。

 

お互い事件を解決しようと必死だけど、視点の違いでトラブルになる

 

これは僕たちが働いたり、学校に行く中でも日常的に起こるトラブルではないでしょうか

 

「上司はわかってない」「先生はわかってない」と

 

でもそこにあるのは単に視点の違いなんです。どう見るか、

 

 

そしてこれを読んでいて思いました

 

7つの習慣でコヴィー先生が言っていた「パラダイムの違いを受け入れる」というのはまさにこの「具体レベルと抽象レベルで捉え方は違うけど、どちらも間違いじゃない」というのを端的に表しているんじゃないかなと思ったんです

 

人は知識や経験が違うのはもちろんのこと、この一つの事象を具体レベルで見るのか、抽象レベルに視点を引き上げてみるのか、こうした視点の違いでも反応は全く違ってきます

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この具体⇄抽象トレーニングが言わんとしているのは思考力を伸ばすには具体と抽象を自在に行き来できる力を養うこと、としているのでどちらが正しいということではありません

 

ただ視点の違いを知ること、そして行き来できる力を得ること、受け入れること

 

これによって人間としての魅力や知能が育まれていくのではないかと思います

 

 

僕は以前の記事でも書いたように具体レベルでしか物事を捉えられない人間です

 

ただ、この視点の違いがあることをまずは知る

 

そしてトレーニングを重ねることで力を養うことができることを知ったので日常の些細な疑問や問題に対して「それってどういうことを意味するんだろう」と考えるクセをつけていきたいと感じました

 

7つの習慣然り、一朝一夕ではなし得ないことなので細く、長く学んでいきたいと思います

 

ではまた!

らこ太

vsAI!淘汰されないために「具体」と「抽象」を行き来する力を操ろう!

「具体」と「抽象」を行き来できる人間がこの先の時代に求められている人間なんだ、というお話

 

具体⇄抽象トレーニングについて、少しずつ紹介をしていきたいと思います

 

まずもって、なぜ「具体」と「抽象」が重要なのかについて丁寧に解説をしてくれます

 

大きな理由の一つに”コミュニケーションギャップ”が生じることだと言われています

 

著書の中にわかりやすい例え話があったので紹介します

 

パターンA

具体的な表現が多い部下の具体くんと抽象的な表現が多い上司の抽象さんがいます

 

会議が終わった後の会議室を片付けなければならないので上司の抽象さんは部下の具体くんに

 

抽象「この部屋、片付けといてくれる?」と言いました。すると・・・

 

具体「片付けろって何をどう片付けたらいいか指示をください。椅子をどうするとか、机はどうするとか、残った資料をどうするとか、このポットや湯呑みはどうするんですか!?」

 

と、具体くんは半ばパニックです

 

パターンB

抽象的な表現が多い部下のの抽象くんと、具体的な表現が多い上司の具体さんがいます

 

会議が終わった後の会議室を片付けなければならないので上司の具体さんは部下の抽象くんに

 

具体「この部屋、片付けといてくれる?椅子は畳んでこっちの倉庫に5組ずつこの台に載せといてもらって、机は会場の後ろに全部移動した後に畳んで3組ずつまとめてね。残った資料はシュレッダーにかけるから部署に持ち帰って一部ずつシュレッダーに。ポットと湯飲みは給湯室に持っていってポットの中身のお湯は捨てて、ポットはゆすいどいて。湯飲みは一つずつ石鹸をつけて洗ったら、食器乾燥機の中に入れて乾燥かけといてもらったらいいからね」と言いました。

 

この間、部下の抽象くんは

 

「(心の中で)要するに片付けろってことだろ?いちいち面倒だ。この指示を聞いている時間すらもったいない・・・(イライラ)」

 

と、パターンA、Bをご覧いただきました

 

少し誇張された例ではあるものの、想像してみるとわかると思うのですが、多かれ少なかれ、僕たちの日常でも巻き起こっていることではないでしょうか?

 

いわゆるコミュニケーションギャップとか、ディスコミュニケーションと言われるような2人以上の相互のやり取りで誤解やストレスが生じるのはこの「具体」と「抽象」の使い分けが上手にできていなかったり、説明が多すぎたり少なすぎたりするために生じるものなのだそうです

 

こうしたコミュニケーションによる問題を緩和するために「具体」と「抽象」とは何かを知ることは重要です

 

 

そのほか「具体」「抽象」が重要な理由として、人間の知的発展に大きく関わるのがこの「具体」と「抽象」を操る力だからです

 

人間の知的能力(考えたり、推測したり、新たなものを生み出したりなど)は”横”と”縦”の方向があります。図にするとこんな感じ

 

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頭の中の情報量が増えれば増えるほど知的能力は向上しますよね

 

学校の科目で言えば歴史上の出来事が起こった年号を暗記する、英単語を覚える、とかですね

 

これが知的能力の横軸

 

一方抽象、具体という縦軸は数学に代表される「数字」や「法則」などです

 

法則を一つ知っていると、そこに一つの数字を代入するだけで多くの具体的な正解を導き出すことができます

 

そのためこの知的能力は情報量という横軸と、「具体」と「抽象」を行き来できるという縦軸の二つの要素の掛け算によって決まるんです

 

現代もしくはそれ以前では「たくさん知っている人は頭の良い人」として取り扱われることが多かったと言います

 

しかし、その「たくさん知っていること」は近年AIなどのテクノロジーの進歩によって人間が必ずしも「たくさん知っている」必要がなくなり、むしろ淘汰されつつある部分です

 

よって今求められるのは

 

具体的な事象を抽象化して応用を効かせることで「言われていない」ことまで能動的に実施できる人材

 

が求められているんだそうです

 

僕はこの部分、なんだか、クイズ番組の傾向の変化に似ているなと感じました

 

昔のクイズ番組って、一問一答で「日本の首都は?」とか「東京駅の設計者の名前は」とかそういう知識の情報量を問うものが多かったと思うんです

 

でも、最近は”クイズ○大王”のような番組だと、法則を見つけて空欄に当てはまる言葉を答えさせるものや漢字の読みでオセロ?みたいなことをしてたりして単純に知識を問うものではなく、知識を使って、抽象的に考えることで答えを導き出す、というものが多い気がします

 

そして、これを途中まで読んでいて思いました

 

「あぁ僕はAIに真っ先に淘汰される人間だな」と

 

具体、具体、具体!

具体的なことしか考えられません

 

話しているうちに枝葉末節をこねくり回して、いつの間にか手段として行っていたことが目的になっている

 

猛烈に反省し、そして絶望しましたね。ちょうど昨日も抽象的思考が足りずに心が折れそうになったりもしました・・・

 

この本のタイトルは具体⇄抽象トレーニング、となっているように間でこの2つの概念を行き来できるように訓練する問題が各所に散りばめられています

 

真剣に取り組んで、少しでも抽象的な思考ができるようになりたいと思います

 

抽象的思考ができるようになったかどうかは簡単に評価できるものではないのではない、

 

と思うので、それはいつもブログを読んでくださる読者の皆様が、僕の記事の内容に変化を感じるようなことがあれば、それが変化なんでしょう。きっと・・・その時は教えて下さいw

 

よし、頑張って取り組みます!

 

ではまた!

らこ太

分岐点はここにある。起こったことに向き合えるか、否か

成長する人は失敗した自分ときちんと向き合える人だ、というお話

 

具体⇄抽象トレーニング、読み進めております

 

いかに自分が具体だけで生きてきたか、を痛感し、「頭が悪いんだなぁ」と凹んでいるところです

 

その合間にまだまだ元メジャーリーガーのイチロー選手のインタビューをまとめた書籍を読んでいます

 

自己啓発本という部類ではなく、どちらかというとドキュメントとか、半生を綴った自伝、という色が強い本です

 

しかし、イチロー選手の言葉は哲学的なものが多く、考えさせられることばかりです

 

結局こうした深ーい言葉を目にしながら、今の自分はまだ「そういう考え方もあるのか」と具体でしか捉えられない脳であることを恨みますが、一方で

 

僕は”言葉”が好きなんだな、と最近強く感じています

 

同じ意味合いでも響く言葉とそうでない言葉があります

 

同じ言葉を聞いてもタイミングによってハマる時とそうでない時もあります

 

僕の例で言うと

 

「継続は力なり」

 

は生まれてこの方響かなかったのですが

 

「毎日全力で1mm進む」

 

はバチッとハマって、今でも座右の銘になっています

 

面倒くさがりな僕でも「1mmならなんとかなりそう」と思えたことで読書をはじめとした自己啓発活動が毎日続いているわけです

 

と、話が逸れましたね

 

今回紹介したいのは「受け入れる」と言うことについて、語ったイチロー選手の言葉を紹介したいと思います

 

年間のヒット数262本を放ち、80年以上破られることのなかったメジャーリーグのシーズン安打数歴代1位を更新した後のインタビューで語られた言葉です

 

(インタビュアー)

去年のシーズン中、明らかな誤審によってヒットを2、3本損しています。(記録更新まで)あと1、2本というところまで来ると、あれがヒットになっていたら、と振り返ってしまうようなことはありませんか?

 

イチロー

いや、むしろ、あれがなければここに来られなかったと考えます。あれがあったらもっと、とは考えない。だから、もし(記録に1本届かない)256本でシーズンを終えていたとしても、あのときの誤審がなければ、とは考えないでしょうね。それは、高校のときに読んだ巨人の桑田(真澄)さんの本の影響かもしれません。その中に『目の前で起こっていることが100%だ』と記されていた。起こるべくして起こっていることだからそれは全て受け入れなくちゃいけない、という僕の解釈ですが、その言葉に妙に共感した覚えがあります。当時から僕も同じような感覚を持っていましたが、そういう表現はしていなかった。いろいろな経験を重ねてきて、そうしたほうが明らかに前に進めると頭が覚えてくれたのかもしれません

 

往々にして僕は「あのときこうしていれば」「あれさえなければ」とタラレバを口にしがちです

 

しかし、それは起きてしまったことから目を逸らし、言い訳をすることによって自分を慰めているに過ぎません

 

どんなに目を逸らしても、言い訳をしても、”起きている”ことは”起きている”

 

起きてしまっているからにはどう避けるか、よりもどう向き合うか、と考えた方がよっぽど成長に繋がる、ということだと思います

 

もちろん辛いことから逃げるな、ということではないと思っていますし、僕は、逃げることが悪だとはちっとも思いません

 

逃げた自分も含めて、なぜそうしたのか、そうせざるを得なかったのか

 

という検証や振り返り、反省なくして一歩たりとも前に進むことはできないということです

 

検証をしないと、それこそ「こうして、あぁなって、こうなったから、もうこれはしないように気を付けよう」的な、とっても具体的で応用の効かない学びしか得られず、1のことから1もしくは0しか学べなくなってしまうと思うんです

 

こうなったのはなぜだろう、あれとあれとあれがあったからか。僕はこういうときにこういう心理状態になるんだな

 

よし、なら、こうしていたらどうなっただろうか

 

この選択肢はあの時選べたか?

 

正解のない正解に向かって何度もシュミレーションしたり、そもそも、を考えたりできる

 

具体と抽象を行き来する

 

辛い状況から逃げたとしてもこうした振り返りの作業からは逃げない、向き合う、受け止める

 

この作業無くして成長はないとイチローは語ります

 

自分に対するマイナスの風を受け入れられるかどうか。そこで強がらずに『よくなかった』と言えるかどうか。そこが自分が見えているかどうかの分岐点でしょうね。強がっているうちは、人よりも秀でることなどできないでしょうね

 

失敗はある、それをなかったことにしたり、笑ってごまかしたりせずに向き合える人

 

これができること自体が”強い”ことそのものなのかもしれません

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大きな失敗は誰しも突然受け入れることはできないと思います

 

だからこそ日々の小さな失敗をなかったことにせず受け入れて、向き合ってみようと思いました

 

突き詰めれば、成長することで喜びを得られるのは自分だし、そんな喜びを得るために自分を成長させてあげられるのも自分だけですからね

 

こんなカッコつけたことを言いながら、全ての失敗を受け入れられる自信はまだ全然ありませんw

 

100ある失敗のうち、まずは1だけでもきちんと向き合おう、受け入れよう、と背筋を正される研ぎ澄まされた言葉でした!

イチローの兄貴、カッコいいっす!

 

余談ですが、イチロー選手の思う、カッコいい男とは

例えば飲み屋に気に入った女の子がいるのに、何度その店に行っても彼女には一切触れずにいて、そのうち向こうから触れて欲しいと言わせる男。それ、カッコいいですねぇ

 

だそうです。カッコいい男とは?に対する返しすらカッコ良くないですか?あれ?僕、おかしなこと言ってます?

 

ではまた!

らこ太

時間の使い方=命の使い方

余暇時間の使い方にも神経を使ってみよう、と決意した、と言うお話

 

最近読書が少し後回しになっていました

 

TBSの連続ドラマ”SPEC〜警視庁公安部公安第五課 未詳事件特別対策係事件簿〜”を視聴していたからです。(内容の詳細はGoogle先生に聞いてみていただけると幸いですm(_ _)m)

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先日、深夜枠で連続放送をしていたので、懐かしいし、当時、最後まで見なかったと思って見始めたが最後、

 

連続ドラマ→特別ドラマ→映画と言うフルコースを視聴してしまいました・・・

 

映画もまさかの3本あって、とんでもない時間をこの試聴に費やしましたね

 

この特別ドラマ、映画版を見るのにHuluなるものを人生初めて契約してみましたけど、これはいけませんね

 

観始めたらノンストップで観続けられるじゃないですか!

 

今まで録画したり、レンタルしに行ったりして「あー。○巻だけ抜けてるから借りられないわ」とかって言うあの煩わしさがなくなってました

 

めっちゃ時代遅れだけどとんでもなく便利やん!

 

自己啓発的に側面からすると、ドラマや映画の視聴って”余暇”になるので、なるべく削っていきましょう、と言われる時間です

 

空き時間はずっと読書に費やしてきた反動と言いますか、甘えと言いますか、一度余暇に浸ったら浸りっぱなしである、にも関わらず、終わった後はなんだか罪悪感みたいなものもありつつでなかなか楽しみきれませんでした(^^;;

 

自己啓発を進めていく上で学んでばっかりではなく、こうした余暇とのお付き合いの仕方も習得しないといけないんだろうなぁと思いました

 

今の僕は少し前の余暇のみに浸っていた頃と比べて余暇との距離感がイマイチ掴みきれていませんね・・・

 

ドラマとか映画とか、一度観始めたら最後の結末がすぐに知りたくなる派なので、どっぷり時間かけてしまいます

 

だからまずは安易に観始めることを控えて「本当に面白そう!」と言うものを選んでいかないといけないですね

 

こんなこといちいち考えてたら”余暇”を全然楽しめなさそうな気もしますが、死ぬまでの時間は限られているわけで、何に時間を割くか=何に命を使うか、であると肝に命じて、余暇も充実させたいと思う凡人でした

 

ではまた!

らこ太

 

やや燃え尽き症候群後、購入した2冊を紹介します

新しい書籍を購入したのでご紹介しよう、と言う近況報告です

 

最近、7つの習慣をなんと2ヶ月も掛けて読み切ると言う遅読ぶりをさらしつつ、1度目を読み切りました

 

rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp

 

本文の中に「何度も読み返すように」とかいてあり、今後も定期的に読み返していこうと思っているので”1度目”と言う表現を使いました

 

7つの習慣が濃厚すぎてちょっと燃え尽き気味だったこともあり、元メジャーリーガーのイチロー選手の奥深き言葉の世界を堪能していたところでした

 

そして先日、7つの習慣に続く新たな知を求めてネットショッピングと書店でそれぞれ1冊ずつ、購入してみたので紹介します

 

1冊目はこれです

 

タイトルに惹かれまして…ネットでご購入です

 

人の怒りや負のエネルギーに結構敏感でありまして、すぐにストレスになっちゃうので何か具体的な対策ができないかなと調べたところヒットした書籍でした

 

まだ箱から取り出していないのでおいおい読んで紹介していきたいと思っています

 

そしてもう1冊

これは時折拝見するマコなり社長のYoutubeチャンネルで紹介されていた書籍で

「面白そう」と思って購入を決めました


「頭の悪い人」がやっていないこと

 

具体と抽象を操るためのトレーニング本です

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具体的な事柄「挨拶を大きな声でしましょう」と言う指示から

 

「挨拶を大きな声ですることの狙いは?」「挨拶を大きくすることで何が起きるか」と言うエッセンスを取り出す

 

そして他のことに応用していく

 

この力を鍛えていくことで”頭がいい人”になれるそうです

 

今日の記事ではこの書籍の”はじめに”に興味深い文章が載っていたのでこれを紹介して終わりたいと思います

 

その人のその状況において、その人が「最善だと思う選択」のみがあり、それをどこまで自分で信じられるかどうかで、「正解」になるかどうかが決まる−。

 

そう言う場面はたくさんあります。

 

逆に言えば、各個人にとって自分が下した意思決定を行動に移す場面においては、「全て正解」だと思い込んで実行に移すことが重要です(反面、自分がコントロールできない他人の人生に対して「それは不正解だ」と口をはさむのはほとんど意味がない、と言うのが本書の基本的スタンスです)。

 

この文章で言いたいのは学生の頃の試験と違って、大人になると必ず正解があるわけではなく、自分が「正解だと思う」と決定して行動を選択していくことがほとんどだ

 

だからこそ個々人が具体的な事柄から抽象的な学びに昇華して具体的なその他の出来事に対応する力を身につけましょう

 

と言うことです

 

まさにその通りだと思います

 

日々目まぐるしく変わる状況に自分が責任を持って行動をしていく、他者の人生を背負い込まず、自分の影響の輪を強く意識して主体的に生きる

 

そう言うこの書籍のスタンスが”はじめに”の時点で既に興味深かったのでこれからしっかり学ばせてもらおう!と言う気持ちにさせられました

 

とりあえず今日は紹介だけになりますが、これからまた学びを共有していきたいと思うのでよろしくお願いします

 

ではまた!

らこ太