”犯人捜し本能”は成長・改善の芽を腐らせる
犯人捜しは誰にとっても不毛だな、と言うお話
仕事をしていると良いことも悪いことも起こりうる。良いことがあるから仕事が続けられているし、悪いことがあると究極やめたくなるときだってある
その悪いことの中の1つに「これは誰がやったんだ」と犯人捜し、がある
Aさんの調子が悪くなったのはBさんがCしたからじゃないのか
と言った具合に
職場内でもちょっと変わり者、で有名なBさんは確かにどこか抜けているし、抜けているだけならまだしも自分のことは棚に上げてこちらのできてないことの粗を探して回っている
そんなことだから、Bさんが何かをやらかそうものならここぞとばかりに批判が巻き起こる職場である
しかし、A×B=Cと表せるほど世界は単純にできているのだろうか
Bさんが何かをするにはそれなりに周囲の環境(静か・うるさい、暑い・寒い)や状況(忙しい・暇など)があり、Bさんの体調だってある。虫の居所や出勤前にあった家族での何かよくないことなど
プロフェッショナルであればそのような周囲の状況に振り回されることなく同じか、もしくはより良いサービスを提供すべきところである。しかし、こちとら人間。ある程度左右されるところに人間の良さもあるとも思う
しかし、その辺りを考慮してもBさんの言動には何か引っ掛かりを感じてしまっていた
そんなおり、他の職員数人がBさんの不満について話していた。他の会話の途中だったためにその会話の中に身を投じてしまったのだ。せめて「ふんふん」と相槌を打ったり、何か意見を求められれば「そうですねぇ。難しいですねぇ」みたいな曖昧な返事をしてしまえばよかったのだがそれでは終わらなかった
「Bさんこう言うところが困るんですよね」と口をついて出てきた
やっちまった。ダッセー。と猛烈に反省した
人間には”犯人探し本能”という本能があり、誰かを責めると他の原因に目が向かなくなり、将来同じ間違いを防げなくなる
Bさんの個性も確かに強いが、周囲の力でBさんは変えられない。本質的にBさんを変えられるのはBさん本人だけだ。そのことに気付いていながら言わずにはいられなかった凡人らこ太
しかも、Bさんのせい、としたことで起きた問題の原因がそれ以外にあるかもしれないにも関わらず建設的な意見や取り組みを開始する機会・タイミングさえ逸してしまうのだ
犯人捜し、恐ろしく愚かな行為です
自分ができること、影響できることにフォーカスしよう。関心に振り回されて反応人間(個性的な顔だねって言われていちいち憤慨する人etc.)にならないようにしよう。反応は選ぶことができる。人の成長や人からの評価を気にしているほど僕たちの人生にそんなに多く時間は残されていないのだ
Testosterone社長のツイートにもあった
誰にも嫌われたくないなんて思うのはやめよう。大切な人に嫌われなきゃそれでいいんだよ。どうでもいい奴や嫌いな奴に嫌われたってあなたの人生には全く影響ない。ノーダメージ。関わりあわず生きていけばいいだけの話だ。そんな奴らはほっといて周りにいる大切にすべき人を思いっきり大切にしようぜ。
— Testosterone (@badassceo) 2020年4月13日
できること、やるべきことにフォーカスして毎日1mmでも前進していきましょう
不満を漏らして、犯人捜し本能を発動させてしまった4月13日のらこ太をクシャクシャに丸めてゴミ箱に捨てておきます
同じ失敗を繰り返すと思いますが、またその時考えます(^_^;)
皆様も良き自己啓発ライフを!
半分反省文の本日の記事でした
ではまた!
らこ太