僕に必要な自己啓発は「”無”の境地」を知ることなのかもしれない…
自己啓発の新たな方向性。”無”について検討している、というお話
最近、心にダメージを負いました
これまでの記事でも書いたように、何らかの刺激(嫌いな人からの一言etc.)に対する反応(その言葉によって生じる感情etc.)は選べます
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
僕がこれを繰り返しお伝えしているのは自分が刺激に過剰に反応してしまうからこそ、自分に対する戒めとして学び、アウトプットしてきたわけです
そんな僕にとって岸見一郎さんが書かれた”嫌われる勇気”がメンター的一冊になり得たのはひとえに僕が”嫌われたくない”人間だったからです
嫌われる勇気 自己啓発の源流「アドラー」の教え [ 岸見一郎 ]
- 価格: 1650 円
- 楽天で詳細を見る
だから対人関係で傷つかなくて済むように、いろいろな書籍から心の在り方、対処の仕方、様々学んできたわけです
しかし、冒頭で書いたように最近負った心のダメージ、これは僕にとってはそれなりに大きくて、
「結局いろいろ勉強する前と変わってないなぁ」と自分が嫌になりかけたわけです
僕の師匠は同じことで悩むことについて”螺旋階段を上がっている”と表現しました
螺旋階段って、上から見ると何度も同じところを歩いてますよね
そのため、1から4の地点まで進んだように見えても、結局1の地点に戻ってきている、すなわち何度も同じ悩みで苦しんで一見成長していないように見える
しかし、実際は同じことに悩んでいるんだけど成長していて、ちょっとだけ悩みの切り口やニュアンスが違っていたりする。ちょうど螺旋階段を横から見ているように
だから自分で言うのもどうかと思いますけど、自分なりに努力はしているわけで、わずかでも成長しているんだろうと思います
しかし、このままいろんな知識を積み重ねるだけでいいのか、別の切り口によるアプローチが必要なのではないのか?と、ふと思いました
今回ダメージを負ったのは以前の記事”課題の分離”頭じゃわかっているけど・・・
でも書いている相手と同じ相手に同じようなことで自分が反応してしまった
このままではまずい。
そんな時、お風呂に浸かりながら、「そうだ。心を”無”にしてみよう」と思いました
僕の悩んだ時に陥る症状は、相手の顔や傷ついた言葉が何度も何度も映像や音声として再生されて四六時中考え込んでしまう。皆さんの中にも同じような方がおられるかもしません
あれこれ悩んで、頭の中でいろんな偉人や書籍の言葉で論破してもしばらく経つと思い出す
こうなってくると「これは考えないようにすることを学ぶべきだな」と
思い起こすとこの傾向は幼い頃からありました
僕は少年時代、野球小僧でした
野球をする人はイメージつきますかね?帽子のツバの部分に自分を奮い立たせる一言を書くやつ
例えば”一球入魂”とか、”甲子園優勝!”とか
僕はこの帽子のツバの部分に”無心”と書いていました。今回のことで久しぶりに思い出しましたよ
当時からゴチャゴチャと考え込む性格だったんでしょうね。スポーツしている最中、自分に言い聞かせる一言が”無心”って
我ながら煩悩の多い子供だったんですね
と言うわけで僕は今後、こういった方向性で心の穏やかさを保つ方法を習得しないといけない、と思いました
もちろんこれまで通り、頭に「+(プラス)」する自己啓発は続けます
その上で頭の中を「ー(マイナス)」あるいは「0(ゼロ)」にする思考法も学びたいと思っています
すぐに思い浮かんだのは”マインドフルネス”あるいは”禅”でした
そういえば中田敦彦さんも禅について話していたなと思いすぐに動画を見ました
スティーヴ・ジョブズも悩んだ末、禅に魅せられていたなんて!僕は大偉人と思考が1mmでもかすっていたことに感動しましたね。ジョブズと僕の共通点は、人間で男でメガネを掛けている、くらいしかないと思っていましたww
新型コロナウイルスのせいでふらっと書店に行くことすら叶いません
ネットで探すのもいいのでしょうが、僕は根っからの書店好きです
事態が落ち着いたら書店に出向いて良さげな書籍を漁ってみます。勝手に自己啓発して、また発信しますね
余談ですけど、最近ではコロナの影響で皆さん電車に乗らないのでブログのサブタイトル、-一駅分の暇つぶし-ではなくなってるな
と、これまた勝手に思っておりました
この禅についての動画、面白いのでまたチェックしてみてください!
長々と失礼致しました。過去最長記事かもしれないです。最後までお付き合いありがとうございました
ではまた!
らこ太