衝撃!「沸き起こる感情は仕方ない」ものではない
感情は処理の仕方うんぬんが大切なのではない、と衝撃を受けたというお話
第一の習慣「主体的である」に突入しました
この習慣は要約すると「『自分の態度と行動は、何かに決定されるのではない。自ら選択できるのだ』とパラダイム・シフトせよ」と言うことかと思いました
これまでもアドラー心理学的な観点から似たようなことを記事にしてきました。しかし、ここは7つの習慣を通して改めて話しますね
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
主体的である、具体的に言うと
どう言うことか
多くの人は気に入らない事・物があると「あいつムカつく」「この職場終わってる」など、感情的になります
しかし、主体的な人というのは「あいつ」は自分にはどうしようもできないことを知った上で自分ができる事に目を向ける
「この職場」は自分1人にはどうしようもできないので自分ができる最良の行動を選択する
こうした自分に影響できる事にフォーカスできる、いわゆる「原因自分論」で考えられる人を主体性のある人、としています
自分に置き換えてもそうですよね
人からある行いを注意されて、その行いを改めるかどうか、それは自分が「改めよう」と決める事でしか変わりようがありません
つまり周囲から影響できることなんてほぼなくて、変えられる、変わるのは自分自身による、と言うことです
・・・とここまでは知っていたことなのですが、ある一文にビビりました
主体的な人は気分を価値観に従わせる
完訳 7つの習慣 人格主義の回復 P127より
どう思いますか?
確かに言われてみれば…
同じ言葉を言われて傷つくか、傷つかないでいるか、その気分を選択できる。「もう少し仕事早くできないかな」って上司に言われてどう思うか
沸き起こる感情、例えば「腹立つわー」は仕方ないとして、その後の処理のスピードや精度を鍛える、改善することはできると思っていたので、過去の記事でも「沸き起こる感情は仕方ありません」的な発言をしていました
しかし、本当に主体的であればその沸き起こる感情そのものを選択できる
確かにそうですよね。同じことを言われて腹が立つ、不快になる僕がいれば、ある人生の先輩は「また言ってるわ、くらいに思っておけばいいよ」と微笑む
沸き起こる感情すら選択できる、価値観に従わせることができる
これは僕としては衝撃でした
皆さんはいかがですか?
感情的になるほうでしょうか?
僕は感情的であり、ネガティブな考えに引きずられるほうです
そもそもそのような感情に至らない
感情の処理のスピードうんぬんではなく、感知すらしない…
これは改めて険しき道ですね
どんどん読むぞ!
ではまた!
らこ太