幸せは犠牲の上に成り立つ
僕たちの幸せは何かの犠牲の上に成り立っているんじゃないだろうか、というお話
MOZUというテレビドラマをご存知でしょうか
2014年にTBS系列で放送された刑事ドラマです
このドラマの感想については「面白い」としか言いようがないボキャブラリのなさは許してください(^_^;)
ただ、今日言いたいのはこのドラマの内容についてではないです。ドラマの中で使われる一つの逸話について
この話は当時の自分になぜか強く残っていて、なぜか今でもたまに思い出す話です。グリム童話的なちょっと残酷さスパイスが効いている話で、そこが好きなんだと思います
ル=グウィン 風の十二方位という短編小説集にある”オメラスから歩み去る人々”という話の中に出てくるオメラスという理想郷のお話を長谷川博己さん演じる東が主人公の倉木(西島秀俊さん)に語る際のセリフに出てきます
オメラスって知っているか?ある小説に出てくる理想郷のことだ。
オメラスは自然に恵まれ、独裁者もいなければ身分制度もない、誰もが何不自由なく暮らしている幸せな町だ。
ところが、その町のどこかに光の届かない固く閉ざされた地下室があった。まるで下水道のようなその地下室に1人の子供がずっと閉じ込められている。
その子はロクな食べ物も与えられず、体は汚物にまみれ、ずっと惨めな生活を送っている。
実はその子の存在をオメラスの住人たちは全員知っていた。
だが、誰も助けようとはしなかった。
なぜならその子を閉じ込めておくことが理想郷が保たれる条件だったからだ。
オメラスの全ての幸せや美しい自然はその子の犠牲の上に保たれているとみんなが理解していた。
たった1人の子供を地下室に閉じ込めておくことで他のすべての人々が幸せに暮らせるならと住人たちは見て見ぬふりをしているんだ。
同じだろ?今のこの世の中とオメラスは。(以下略)
TBSドラマ MOZU Season1〜百舌の叫ぶ夜〜 より
ゾクゾクしませんか?
この子に何があったんだ?ここにいることが他の人の幸せって、何を背負わされてるんだ?
現実世界ではノーサンキューのブラックさですが、こういう小説、目がありません( ^ω^ )
でもこの話って僕たちの生活にも通ずるものがあるなって思いました
僕たちの何気ない日常は実は誰かの労によってギリギリ成り立っている儚く脆いものなんだと思います
犠牲という表現がすべて適切ではないですが、誰かが働いてくれいてる、誰かが頑張っているからその他大勢の幸せや快適が保障されてるなぁって。そして自分も働く、それによって誰かの幸せや快適が保障される、こういう構図だなと
例えば今回の新型コロナウイルスの話だと、観光業は開店休業状態です
いろんな国の人、いろんな県の人が来ているなぁと観光客を眺めているだけでしたが、そういう人に自分の町の経済が支えられていたんだなと。今になって実感してます
さながらコロナウイルスはオメラスを破壊しにやってきた刺客ですね
僕たちは日頃の生活への感謝し、誰かの犠牲(労)の上に幸せを享受していることを忘れずにこれからは生きていかないとなと感じました
余談で、この話に似たブラックな感じが楽しめる作品かと
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この小説もゾクゾクしましたね( ^ω^ )
どんな小説かっていうと
善って?悪って?その違いは?そして俺は善だよな?あれ?悪だったのかな?もうよくわかんないや
って話です。めちゃ分厚いのにめちゃサクサクいけるのでオススメです
今日は好きなフレーズ、逸話”オメラス”についてお話がしたいがための記事でした。なんの自己啓発にもなってなさそうですね( ^ω^ )ごめんなさい!
もう一つ余談ですが、MOZUの主人公、倉木がめっちうまそうにタバコ吸うんですよ。確かこれについても当時結構話題になってたと思います。禁煙を推し進める時代に喫煙を助長する!って
#Stay Homeで外出できない今、一見の価値アリのドラマだと思います!
ではまた!
らこ太