”欠乏感”or”罪悪感”-僕はおやつが”やめられない”んじゃない、”やめたくない”んだ!
夜のおやつがやめられない、というお話
どこが自己啓発なんだ?と思われた方。間違い無いです。全然自己啓発じゃないですw
何の話ですか?って話です。僕、食後のおやつが大好きなんです
食事自体も大好きですよ
でも食事を取った後のおやつありきで食事を組み立ててしまう
”お茶にしましょう”という言葉が大好きです
魔女の宅急便でも目の青いマダムが主人公のキキにそんなことを言っていましたね。ニシンのパイが焼けるまで、電球交換をしているあの場面です
それでも毎晩おやつ、というわけにもいかないのでたまに我慢するんですが”欠乏感”
食べちゃうと”罪悪感”
どっちを取っても僕には不幸が待ってるんです
人の行動にはすべて”目的”があります
自分が抱いているトラウマなども”目的”があって存在しているそうです
例えば対人恐怖
人と会うのが怖いから会えない、のではなく、
人との交流によって傷つきたくない、という目的に沿って対人恐怖、という状態(トラウマ)を作り出している。過去に何かあって傷つきたくない、と思ったのかもしれません
そのような原因はあったとしても、今現在も対人恐怖によって人に会えないのはひとえに会いたくない、という目的を達成するためにトラウマを作り出しているからだ
これがアドラーの主張”目的論”です(一方、心理学の太祖フロイトが寄って立つのは”原因論”です。人に傷つけられた過去があるから人と会うのが怖くなる。故に対人恐怖に至ってしまう、という考え方です。…ちなみに僕自身はトラウマを否定したいわけではない、ということはご承知ください。今から話すのは一つの”考え方”のお話です)
目的論も原因論も僕の文章が稚拙で同じじゃん、と思うかもしれません
ただ目的論は自分でトラウマを作り出している、と考えるが故に”変われる”
原因論はこんな過去があったから患ってしまった、と考えるが故に”変われない”
とするため全く別物です。起きてしまった過去の事象自体は変えられません
しかし、”目的論”で考えると今の目的が変われば、人は変われるわけですね
人は変われないという決心をしているが故に変われないのであって、変わりたいと思えば今この瞬間から変わることができるんだそうです
なるほど、であるとすれば僕がおやつを”やめられない”のではなく、”やめたくない”んだな
よし。明日もおやつ食べよう。そして欠乏感と罪悪感を行き来しながら毎日苦しもうw
ではまた!
らこ太