「ありがとう」を口にできる人間になろう
大切な人への感謝の言葉をきちんと口にしたいと感じた、と言うお話
最近、イチロー選手のインタビューなどをYoutubeで拝見することが多いです
選び取られる言葉一つ一つに野球の枠では収まらない、上向きの螺旋を登り続けようとする”人間イチロー”の魅力に取り憑かれております
そんな中2019年の引退会見の動画がアップされているので視聴していたところ、本当に素敵だな、と感じたので共有したく記事を書かせてもらいます
【全編】イチロー選手が引退会見「後悔などあろうはずがない」(2019年3月21日)
およそ1時間30におよぶ会見動画です。それでも一気に観てしまうほどの魅力がありました
この会見の中で、記者から妻への思いについて訊かれ、このように答えていました
「いやぁー。うん、頑張ってくれましたね。一番頑張ってくれたと思います。僕はアメリカで結局3089本のヒットを打ったわけですけど、妻はですね、妻はおよそ……僕、ゲーム前にホームの時にはおにぎりを食べるんですね。妻が握ってくれたおにぎりを球場に持っていって食べるわけですけれども。その数がですね、2800くらいだったんですよ。まぁ3000行きたかったみたいですね。そこは3000個握らせてあげたかったなと言う風に思います
妻もそうですけど、頑張ってくれました。僕はゆっくりするつもりないですけど、妻にはゆっくりしてほしいですね」
カッコ良すぎる
イチロー選手はよく自分を頑張っている、と思っていないと言うことを強調します
人よりも基準は厳しいと思っているけど、それでも全く頑張っているつもりはない。むしろ甘いと言う自己評価をしていることが多いように思います
そんな自分の頑張りを認めようとしないイチロー選手が妻の頑張りには即答で「頑張ってくれたと思います」と言う。認める。労う。シビれました
僕は男性なので男性目線で語りますと
親や配偶者に対する感謝ってなかなか普段伝えないし、日々の家事ってどこか「してもらって当たり前」って感覚ありませんか?
でも良く考えるとこの家事なくして僕が仕事という外の世界における戦いには絶対に立ち向かえないだろうなと思うんです
それをついつい忘れてしまう
このイチロー選手を同じ男性として見習い、早速僕は、
腹から声を出して「ありがとう」をきちんと言葉にする。どんな気分であっても
と言う約束を立てました。腹から声を出してと言うのは、いつもボソボソ喋って聞き取りづらいと言われるので付けました…
まだ実行して3日目と日が浅いですが、今後も継続します
自分が頑張れている、自分が目標に向かって歩もうとする。その傍らには気付かないだけで必ず誰か1人は味方がいるんだと思います
父や、母、夫、妻、子ども。もしかすると友人かもしれないし、隣の家の人かもしれない。学生であれば先生や部活動のコーチかもしれませんね
そんな人に「ありがとう」をきちんと伝える。”悩む”のも支えがあってこそ思う存分”悩む”ことができるのではないかなと感じる漢イチローの言葉でした
ではまた!
らこ太
遂にフィナーレ!第7の習慣「刃を研ぐ」ー人格をバランス良く磨き上げるー
成功を掴み取るには”バランス感覚”が必要だと感じた、と言うお話
いよいよ7つの習慣も最後の習慣、第7の習慣を迎えました
第7の習慣は「刃を研ぐ」です
これは”自分自身の成果を生み出す能力”を高めていく習慣で、
1.肉体を鍛える
2.精神を整える
3.知性を磨く
4.社会性、情緒を安定させる
という4つの側面に分類されます
自分自身の成果を生み出す能力を高めるとはどういうことか
第1〜第6の習慣で「こうすることで成功できる」という具体的な方法を提示してきました
これらに取り組むことで成功できるけど、その成功を何度も繰り返す、より”効果的に”成功を持続させるために第7の習慣が有効になるわけです
著書の中の例え話が一番わかりやすいですし、それがそのまま「刃を研ぐ」という習慣のタイトルにもなっているのでこの話を紹介しますね
あるところに大木を切る男がいた。あなたはその様子を見て声を掛ける
あなた「木を切ってるんですか?精が出ますね。とっても大変そうですね」
男「大変に決まってるだろ。太くてなかなか切れねぇんだよ」
あなた「これだけ太ければ大変でしょう。頑張ってください」
男「おう!」
ー数日後ー
同じところを通りかかると、あの男が同じ木をまだ切っていた
あなた「まだ切ってるんですね。少ししか進んでないようですけど」
男「当たり前だ。これだけ太けりゃ切るのも大変なんだよ」
あなた「いっそ手を止めて刃を研いだ方がいいんじゃないですか」
男「バカいうな。早く木を切ってしまわねぇといけねぇんだよ。刃なんて研いでる暇なんてあるもんか」
大木を切る事が”成功”です
その成功という果実を手に入れるために男は木を切っています
しかし、なかなか進まない。刃を研いでいる暇はないという
私たちはこの男のように第2の習慣で出てきた緊急性はないけど重要な自己啓発や自己投資と言った活動に「忙しいから」という理由で取り組まずに成功という名の果実だけ得ようとしているんだそうです
確かに成功はするかもしれないが効果的ではない。持続しない
そうならないために「刃(自分自身の成果を生み出す能力)を研ぎ(高め)ましょう」というわけです
先にも書いた
1.肉体
2.精神
3.知性
4.社会性、情緒
この4つの側面にアプローチする方法が具体的に書かれていて
1.肉体を鍛える→1分間の心拍数が100を超える運動を30分続けましょう、ストレッチをしましょう、筋力トレーニングはデスクワーク中心の人なら腕立て伏せ等軽く行い負荷をかける程度で十分など具体的に示されています
2.精神を整える
この取り組みは人によって大きく違うそうです
一例として
聖書を読む、座禅を組む、偉大な文学や音楽に没頭する、自然の中で散歩すると言った活動から自分に合ったものを選択するようにと言われています
第2の習慣で作成したミッション・ステートメント(個人憲法)を静かなところで確認するのもいいそうです
3.知性を磨く
知性を鍛えることで視野を広げ、大きな問題に取り組んだり、目的を明確にした言動が取れるようになる。他者のパラダイムを理解しやすくもなる
そのために偉人の言葉に接する、読書をすると言ったことが有効だということで、まずは月1冊から、徐々にペースを上げていくことをオススメされています
また文章を書いたり、最優先事項にそったスケジュールを立てることも知性を磨くことに繋がるんだそうです
4.社会性、情緒を安定させる
これについては正しい原則に従って生きる、原則中心を守って生きることで自分の内面からの安定を図ることができるそうです
他には奉仕活動に参加したり、他者とWin-Winの関係を築いていくことで安定することもある
しかし、何の方法にしても情緒の安定は他者から与えられるものではなく、自分自身が働きかけることでしか得ることはできません
以上、かなり端的に第7の習慣をまとめてみました
第7の習慣を学んで感じたのは本当の意味で成功している人に共通するのは「バランスが取れている」ということだなと感じました
この7つの習慣しかり、今読んでいるイチローインタビューズで語られるイチローの考え方然り、「バランス」というのは一つのキーワードだと思います
何かに突出した才能を見せる人がいます
それは芸術だったり、研究分野だったり、話芸やスポーツだったり
でも、そう言った才能に溢れていながら不幸になっていく人。不幸だと感じている人がいます(僕自身才能に溢れていないのでそんな人たちがどんな不幸を抱えているのか想像できませんけどねー⊂*1⊃)
その成功にはどこか偏りがあるんだと思います
何かを犠牲にしたり、考え方をどんな理由があっても曲げられなかったり、他者とは一切交わろうとしなかったり
その人にとって「これが幸せだ」と言われたらそうなのかもしれません
それでも著者は7つの習慣は成功には原則がある、と主張していて、そういった偏った生き方は必ずひずみが生まれると言います
真の成功には一言で言うなれば”バランス感覚”が必要なんだ、と言っている気がするんです
仏教では中道とか、儒教では中庸なんていう表現もされますね
極端な生き方ではなく、バランスを保つ
これが第1〜第7の習慣の根底にあり一貫した大切な考え方であるように思いました
僕たちの私生活で言うと
「飲み会の時間は無駄!1人になる時間を作って自己投資しなさい!」と言われたから必要以上に人と関わらず会社から直帰します。人とは無駄話しません。飲み会の誘いには絶対に応じません
「体に必要以上のものを摂取せず、ひたすら体を鍛えることが自信を育てる」と言われたから体ばっかり鍛えてます
どこかで出会う”成功法則”と言われる一つの考えに固執してしまう
そうではなくて心に投資する意味で、大切な人とだけでも食事に行ってみる
体を鍛えるのはもちろんだけど、まずは月に1冊、いや、たった1回だけでも活字に触れてみようとする
「これだけやっていれば間違いない」と盲目にならないこと、信じていることも他の視点から見てどうかと疑ってみる、検証してみること、反対意見にも触れてみること
このような取り組みが必要なのではないかと感じました
この7つの習慣を読むことを通して本当に大切なことを教わりました
僕の人生史上、「嫌われる勇気」を超える感動がありました
中田敦彦のYouTube大学で7つの習慣についめ動画を見て感動したけど、やっぱり自分で書籍を読むと考える量と質が段違いでした
まとめページや動画を見て、あるいは僕の記事を読んで「興味ある」と思った方は絶対に絶対に絶対に!自分で買って読むことをお勧めします。全然吸収量が違うはずです
僕の感覚を言うと、この書籍を読むことによる変化は”ズドーンッ”って、一気に自分の中に入ってくるんじゃなくて
読めば読むほどジワジワと染み込んでくる、そう言う感覚に襲われる変化でした
基本的には悪い表現に使う言葉ですけど”蝕まれる”や”浸食される”と言う方が僕の感覚に近いかもしれません
僕の中心的な考えを成す書籍の一つになると思います
しかし、前述したようにバランスを取ることが必要なので
これ以外の本も読み、いろいろな考え方に触れて教養を深めていこうと思います
そして一番苦手な肉体を鍛えること・・・出不精なんです。お外が苦手です。インドアです
そこを月1回30分から、たったそれだけでもウォーキングをするとか、何かしら行動に結び付けていこうと思います
以上、7つの習慣ー人格主義の回復ーでした!
もちろん今後もブログは継続します!でもフィナーレ感すごい(笑)
なんででしょうか?(^^;;
今後ともよろしくお願い致します
ではまた!
らこ太
*1:・x・
らこ太浅いぞ!イチロー選手はルーティンの鬼、という僕のイメージは間違ってました
自分の一挙手一投足に意識を張り巡らせる事ができるのが”イチロー”という名の”プロフェッショナル”なんだな、と感じたというお話
先日紹介したようにイチロー選手へのインタビューをまとめた書籍を他の読書の合間に読み進めています
以前、イチロー選手のことについてよく知りもしないのに記事に書いたので、責任を持って勉強!ということもあって書籍を購入しました
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
まだまだ序盤ではありますが、自己啓発本を読む感覚とは少し違います
勇気づけられるのはもちろんのこと、イチロー選手から紡ぎ出される言葉はなんだか汚れた心を綺麗に洗い流してくれる
そんな研ぎ澄まされた言葉ばかりです。ぜひ手にとって欲しいなと思う本です
さて、内容について触れます
イチロー・インタビューズの中にこんな言葉がありました
イチロー自身が思う自分の最大の才能は?
「たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回って来て欲しいと思える気持ち」
と答えたそうです
率直に思いました。どういうこと?
「肩が強いー」とか「足が速いー」と言う身体的な能力のことではなく、
「継続してできることー」とかって言う努力の話でもなく、
「たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回って来て欲しいと思える気持ち」
4打席ノーヒットという野球選手としては”ダメ”な結果でももう一度挑戦したいというポジティブな姿勢、とも言えるし
一度や二度の結果で”一喜一憂しない”という揺るがない精神、とも言えるなと
読み進めていくとイチロー選手にとってヒットが出たかどうかはただの結果。理想の打球(強い打球)が打てたかどうか、の方が遥かに大事だし、その結果ヒットだったかどうか、ということなんだという趣旨の話を語っています
「ヒットが出ているからと言って状態がいいというわけでもないし、ヒットが出ないから悪いというわけではない」
相手の守備位置などその他の要因でヒットになるかどうかは変わってくる
だから自分自身が理想とするものを体現できたかどうかの方がよっぽど大事なんだと
そういう視点から改めてこの自身が思う最大の才能は?という質問に対する答えは
前向きな姿勢とか揺るがない心、と言った意味合いもあれば
”失敗を後悔で終わらせる” ”無意識になんとなくやる”ということは一切なく
一挙手一投足に意識を張り巡らせているからこそ
「次の打席でできなかったアレを意識して取り組みたい」と思える
よって「たとえ4打席ノーヒットでも、5打席目が回って来て欲しいと思える気持ち」を持てるのではないかと思いました
つまり、そこまで常に理想を追い求めるだけの意志と覚悟がある
”失敗は成功の母”という言葉があります
しかし、読んでいて思うのは、イチロー選手にとって”失敗した””成功した”というのは野球選手にとってのヒット1本打てた
営業職にとっての契約1件取れた
交通整理の人の事故なく1日誘導できた
看護師にとっての一発で採血ができた
という”結果”という次元での成功ではなく
それに取り組むにあたってどれだけ真剣に準備ができたか
理想を持って取り組めたか
という過程の方が大切なんだなと
この言葉を知って、自分も看護師という国家資格を持つ1人の”プロ”として、1日をなんとなく過ごすのではなく
その一つの言葉、一つの行動に対して自分なりの意味づけが必要だなと感じました
もちろんイチロー選手のようになるのは一朝一夕では叶いません
でも、なれないと思ったらそれ以上の進歩はないわけで
看護師として、というより人間として成長するために自分の言動一つ一つに気を配ってまずは1週間だけでも取り組んでみよう!
そう思わせてもらえた素敵な言葉でした
ではまた!
らこ太
このブログを書くのは「らこ太」じゃなきゃダメなんですよ!
今日は日記的記事であり、反省文であります
人の意見はよく噛んで飲み込みましょう。そして表現しましょう。そんなお話
先日、久しぶりに僕にとっての学びの師にお会いする機会がありました
新型コロナウイルス感染症はまだまだ終息する気配を見せない中、移動制限解除と言う段階まで来たので、心置きなくカフェで話をすることとなりました
知のやり取りはとても有意義な時間で「勉強になった」と言うよりは「頭が整理されてすっきりした」と言う感覚の方が大きいでしょうか
師とのやり取りはいつも一方通行で僕と師の発言を文字におこすと90:10と言う割合です(^^;;
ほとんど僕が喋っている・・・
そのやり取りの中、大いに反省をする事があったので記事にします
僕は自分のことを「吸収力がある」「素直に人の話を聴ける」人間だなぁと思っていて
これはポジティブな面だと思っています
一方で「鵜呑みにしてしまう」「人の意見をそっくりそのまま自分の意見にしてしまう」と言うネガティブな側面もはらんでいる性質で
それによって失敗した経験もあります
例えば、僕は看護師として勤務しています
もう数年も前の話になりますが、
「看護師ってどんな仕事」と言う題で講義を頼まれた事があります
その際、ある人が言っていた「看護師とは?」と言う意見をそのまま講義の中で話し、その講義後、数人から「あれはないよ」と苦言を呈された記憶があります
今振り返ってみて自分が現在思っている「看護師とは?」と言う意見とも相違があるし、その意見は確かに客観的にもどうかな、と言う思いです
自分の今の意見と相違があるとはいえ、その意見自体が完全に悪かったとは思いません。ある意味では正しいところもあると思っています
その講義をしたときに苦言を呈されたのは内容そのものについて、と言うこともあると思いますが、それ以上に僕の話し方に違和感を覚えたからではなかったかなと思います
ここで言う「話し方」はスキルの問題ではありません
言行一致していなかった
真に自分の意見として話せていなかったから誤った意見だと言う印象を与えた
そう感じています。当時は自分の意見として話していたつもりでも、やっぱりそう言うところは伝わるのかなと
このように僕は往々にしてこの人の意見がそのまま自分の意見になってしまう、と言うところはあります
これは7つの習慣で紹介される
「刺激と反応の間のスペース」と構造が似ているなと感じました
A(例えば陰口を言われる)と言う事象が起きる、その事象に対してB(例えば落ち込む)と言う反応をする自分がいる
しかし、Bと言う反応をするのはAのせいではなく、Bと言う反応を自分が選択しただけ
別のある人はC(例えばイライラ)と言う反応をしたりDやEと言う反応をするかもしれない
だから刺激と反応の間にスペースがあることを意識する事が主体的に生きることになるんだと
その意味で言うと知識という刺激とアウトプットと言う反応の間にスペースがあることを意識できていないのが僕なんだなと思いました
そこにはスペースが存在していて、いわゆる咀嚼(噛み砕く)したり、飲み込む事ができるんだと
その過程を経ずして「僕の意見です」と言うのはあまりに短絡的であると反省しました
師に言われたのは、僕のブログ記事は要約であって、らこ太くんの思いが反映されていないと
読書を通して、いろいろなことを考え、いろいろなことを感じているはずなのに、それがらこ太くんの頭の中で終始していてアウトプットされていない事がもったいない、と
猛烈に反省しました
「いい記事書いたー」と言う手応えがある記事もある中、
確かに読み返すと「で、らこ太くんはどう感じたの?それを知ってどう活かすの?どう行動するの?」ってツッコミたくなる記事ばかりでした
「読んだ内容をわかりやすく伝えたい」
このブログにはそのような意図もあるので自分としては半分正解かなと
しかし、ブログという媒体を通して発信する以上、読者がいるわけで、そこに「らこ太が書いた」が表れてこないと僕のブログを閲覧する価値はないな、と思いました
僕は過去の記事でも話したように、また記事を読んでもらえればわかるように、恐ろしいほど凡人です
それでも凡人Aなりに考えた事、感じたことを発信していかないとこの記事はらこ太が書かなくてもいい、と言うことになるわけです
それは単純に嫌だなって思いました
僕は特別な人間になりたいと思ってはいないです(高校生くらいまでは「有名になりてー」とかありましたけどねw)
しかし、個性は反映していきたい
「らこ太くんはそう考えたんだ」が伝わるようにしたい!
そんなことをためらうことなく伝えてくれる人がいることに感謝しつつ、今後の記事は更新のペースが遅くなったとしても「この記事で僕の思いが伝わるだろうか」「著者(らこ太)の個性が反映されているだろうか」
こう言ったことを自問してからアップしていきたいなと思いました
試行錯誤の先に成長が待っていると信じてブログを継続していきたいと思いますので今後ともよろしくお願いしますm(_ _)m
ではまた!
らこ太
「思いやり」と「勇気」はタイミングとバランスが命!相手の反応を見極めよう
相手に理解してもらうためには「思いやり」と「勇気」のタイミングとバランスが大切だ、と言うお話
7つの習慣−人格主義の回復−を読んで学んだことをまとめています
前回までのところで第5の習慣、「まず理解に徹し、そして理解される」の方法について詳しく解説していきました
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
今回はその補足的な内容です
前回の記事のような手順で話を聴いていくときに一つ注意したい事があります
それは”相手の反応をきちんと見る”ことです
どう言うことかと言うと
今まで頑張って相手を理解しよう、傾聴に徹しよう、と心に決めて話を聴いてきたとします
なんとなく「あ、少し心を開いてくれたかな」「なんか相手が安心して話をしてくれている気がする」と思った時
または「らこ太くんはどう思う?」と意見を求められた時
ここで注意です!
今まで聴いてきた分「僕はですね」とここから自叙伝的反応(評価する、探る、助言する、解釈する)の波状攻撃を仕掛けてしまわないようにすることです
いわゆる「俺のターーンッ!ドローーッ!!」ってな具合にまくし立てたら、ここまで預け入れをしてきた信頼口座から残高を引き出すことになってしまいます
「なんだ・・・結局自分が言いたいことを言ってるだけじゃないか・・・」と落胆させるわけです
そのため、共感による傾聴をするときには相手の”論理的反応⇄感情的反応”の往来を見極めないといけません
簡単に言うと冷静に話を聴ける状態にあるか、否か、と言うことです
相手は初め、感情的に話したいことを話すかもしれません
「聴いてくれよ」「こんな事があったんだよ」「どうしたらいいんだよ・・・」
NGパターン
話を聴いているうちに
相手「そうなんだよ。あの上司には本当に参ったよ。あーあ・・・らこ太はどうしたらいいと思う?」
らこ太「そうだね・・・僕は話を聴いていて、こうしたらいいと思ったんだけど」
相手「らこ太はそう思うのか。でもさぁ、俺にそんなことできると思う?仮にも上司だよ?それはできないよ」
らこ太「でもそこはきちんと伝えていかないと上司も分かってくれないんじゃない」
はい。ダメです。意見を求められたから”助言”をしたものの、相手は感情的な反応に逆戻りしました
これって普通にありうることですよね?
でも助言をした流れで自分の物の見方で追い飯ならぬ、追い助言をしてしまう
この感情的な状態では相手はあなたの助言を信頼して受け取れません
OKパターン
話を聴いているうちに
相手「そうなんだよ。あの上司には本当に参ったよ。あーあ・・・らこ太はどうしたらいいと思う?」
らこ太「そうだね・・・僕は話を聴いていてこうしたらいいと思ったんだけど」
相手「らこ太はそう思うのか。でもさぁ、俺にそんなことできると思う?仮にも上司だよ?それはできないよ」
らこ太「そっか、上司にそう言うことを言うのは部下としてはあり得ないと考えているんだね」
相手「そりゃそうだよ。歳も20は違うよ。『若造が舐めたこと言うな』って思われて嫌われるのがオチさ」
らこ太「年配者の言うことには素直に従うべきだ、と言う考えなんだ。そうかそれで上司は君の言い分を知ることもないから困っていることは伝わらないね。問題がなかなか解決しないわけだ」
相手「そうなんだよ。何か僕でもできそうな事が一つでもないかな?」
らこ太「そうだね、じゃあ上司に直接言う事がまずいならこうしてみたら?」
これです!相手がガードを上げたり、下ろしたりするのをよーく見る。そして相手のパラダイム(物の見方、考え方のクセ)を受け止めて理解しようとする
こうする事で信頼を得て、「そして理解される」、勇気を持ってあなたの意見を述べていく
「思いやり」と「勇気」のバランスを保つ事です
「思いやり」が強すぎる人は「いいよ。君の勝ちだよ」と譲り過ぎてLose−Winに至る
「勇気」が強すぎる人は「俺の意見が絶対に正しい」と主張し過ぎてWin−Loseに至る
Win-Winに至るためにはこの相手を理解することと自分を理解してもらうバランスが取れていなければなりません
しかし、「思いやり」と「勇気」の順番が逆になってはいけません
相手を理解しようと言う姿勢があって初めてあなたの立場や考え方を受け入れてもらえます
相互依存(お互いがお互いの力を上手に使う)の状況では相手の力を借りられるかどうかは相手次第なので自分が影響を及ぼせる範囲の外側の要因が大きいです
しかし、「相手を理解しよう」とすることは自分の影響を及ぼせる範囲の内側にあること
影響を及ぼせることに力を注いでいると自然とその影響は相手にも影響を与え始めます
これを”インサイド・アウト”のアプローチと言います
実は著書の中では第1の習慣の前に説明される概念であり、第7の習慣の説明を終えた後に”再び、インサイド・アウト”と言う章で紹介される鍵概念と言っても過言ではない大切な考え方です
自分が影響を及ぼせる範囲はまだまだ狭いかもしれない
それでもどうにもならないことに愚痴や文句を言わず、自分ができることにひたすら取り組む
そんな姿勢を貫くあなたをみて、周囲の人が「この人はすごい」「この人は信頼に足る人だ」と周囲に影響を与えていく
おそらく一朝一夕でできることではないのだと思います
リベラルアーツ大学の両学長が言うところの”原因自分論”
自分ができることにフォーカスして一歩一歩、牛のように亀のように鈍くても着実に進んでいきましょう!
ではまた!
らこ太
シビレます!”鬼滅の刃”のOP”紅蓮華”!
鬼滅の刃の主題歌、「紅蓮華」の歌詞の一節にとっても素敵な言葉を見つけた、と言うお話
今日はライト目な記事を一つ
先日記事にしたように、「どんだけ乗り遅れてんねんっ!」と言うくらい今更「鬼滅の刃」列車にご乗車致しました
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
この「鬼滅の刃」のアニメ版主題歌で、LiSAさんが歌う「紅蓮華」と言う歌があります(これもめっちゃ売れたらしいですね。鬼滅の刃最盛期には一度たりとも聴いた事がありませんでした…)
歌詞をこの方本人が書かれているようですね
この曲、めっちゃアガりますね!今頃アガるとか言うのかな…若者文化がよくわからない。
今回言いたいのはこの曲の歌詞についてです
2番のサビ部分でその歌詞は出てきます
乱暴に敷き詰められた トゲだらけの道も
本気の僕だけに現れるから 乗り越えて見せるよ
紅蓮華より
いかがでしょう?
よく「神は乗り越えられると思った人にしか試練を与えない」と言うような表現がされる事がありますよね
そのニュアンスに近いものがあるなと思うところですが、僕はこの表現の方が圧倒的に好きだなぁと感じました
そもそも人間として真剣に「より良く生きよう」と思っていない人にとって神が”試練”を与えたところで、その人は”試練”と気付かないのではないかな、と思ったんです
その点、この歌詞は「本気の僕だけに現れる」と表現しているあたり、「僕」は「本気」であることを自覚している
そして本気で生きている者は成長するための”試練”を”チャンス”と捉える事ができる、そして成功できる、と言う能動的な性質を感じるんです
自分も受動的に生きるのではなく、より良い生のために自分から”試練”を見つけていきたい!と感じさせる素晴らしい歌詞だなと感動したので共有させてもらいました
ではまた!
らこ太
人間は、相手に”自分”を分かってもらいたい生き物なんだ
本文に入る前にご報告、当ブログ2020/6/15をもちまして、500PV達成いたしました〜!
いつもご覧いただいている皆様、本当に感謝です
2020/2/15に初めての記事を投稿しておりますので丸4ヶ月での500PV。ペースとしては、はっきり言ってかなり遅いと思います
しかし、まずもってここまで投稿し続けられたのは、アクセス数が励みになったからであり、ご覧いただいている方々のおかげです
今後ともよろしくお願い致します( ^ω^ )
さて、それでは、
Win-Winの関係を築く為に必要な良好な人間関係は「話を聴く」ことから始まる、と言うお話
前回までのところで周囲を巻き込んで幸せになる、公的成功にはWin-Winの関係を築いていくことが必要だと言う話をしました
その関係を実現する為の具体的な方法論が第5の習慣「まずは理解に徹し、理解される」です
お互いが成功するWin-Winの関係を築く為には信頼し合うことが必要で、”信頼口座”にたっぷりと預け入れをしなくてはなりません
rakotanojikokeihatu.hatenablog.jp
この信頼口座にたっぷり預け入れをする方法が「話を聴く」ことなんです
なぜ話を聴くことが信頼される為に必要なのか、それは人は人から理解され、認められ、必要とされ、感謝されたいと願っているからです
人は毎日、食物を摂取し、睡眠を取ることで肉体的に生存し続けようとしてます
一方で、心理的に生存し続ける為には人から理解され、認められ、必要とされ、感謝されることが必要なんです
人は往々にしてこの心理的な欲求に対して”欠乏症”に陥っています
「分かって欲しいな」「話を聞いて欲しいな」「役に立ちたいな」「ありがとうの言葉が嬉しいな」
これって読者の皆さんも少なからず沸き起こる自然な感情なのではないでしょうか?
「話を聴く」ことはこの心理的酸素欠乏症に陥っている心に”空気を送り込む””酸素供給する”行為に他ならないんです
では、具体的に「話を聴く」方法=「共感による傾聴」のスキルが4段階あるのでご紹介します
1.オウム返し
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「最近疲れてるんだぁ」
相手が話した言葉をそのまま相手に返す。この効果としては「あなたの話に注意を向けていますよ」と示すことができます
しかし、これでは不十分
2.相手の言葉を置き換える
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「最近疲れることがあったんだね」
相手が話した言葉に対して、あなたがどう理解したか、に変換して相手に話す
これは相手がどう言う意味合いでその発言をしたか、と言う論理的な解釈をした上で返答しており”左脳”を使ったスキルです
しかし、これでもまだ不十分
3.相手の気持ちを言葉にする
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「最近ストレスが溜まるようなことがあったんだね」
相手が話した言葉に対して、「疲れている」=「(心か体かはわからないけど)ストレスがかかる出来事があったんだろう」と「疲れている」の言葉に隠された気持ちにフォーカスして返す
これは想像を働かせて、感情的な部分をやりとりしている為、”右脳”を使ったスキルです
相手を理解するまでもう一歩!
4. 2+3 相手の言葉を自分の言葉に置き換えつつ、気持ちを言葉にする
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「疲れるような出来事があって、ストレスがたまってるんだね」
この4が理想的な共感による傾聴のスキルです。脳全体を使って相手を理解しようと全力を尽くしている行為です
ここまで来れば共感による傾聴のスキルはバッチリです!
しかし、何度も過去の記事でも話していますように、テクニックだけではあなたのそのスキルの裏にある相手をコントロールせんとする意図、思惑がバレてしまうので、誠実な成熟した豊かな心を持った人格が基礎にあることが必要です
さらに言うなら、相手に心を開いて話をしてもらおうと思うなら、会話の中で自ずと自分の心も開かなくてはなりません
そうすると相手に心を開く行為は自分の弱いところをも見せることになるので上っ面のスキルだけではあなたの心の基礎が揺らぐことになる為、この点から言っても人格の確立が必須です
文面だけ見ると、「なんだ、そんなことで相手が信頼してくれるのか」と思うかもしれません
しかし、僕たちが実際に行なっている会話はどうでしょうか?
実は人は相手の話を理解しようと思って話を聴き始めてもすぐに
1.評価したり 2.探ったり 3.助言したり 4.解釈してしまったり
するそうなんです。これらは話をするときにやってはいけない”自叙伝的反応”と言われています
自叙伝的反応を具体的に説明すると
1.評価する
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「それは根性が足りないんじゃないの?」
2.探る
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「仕事で何か嫌なことでもあったの?」
3.助言する
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「それならきちんと睡眠を取ったら?」
4.解釈する
相手「最近疲れてるんだよねぇ」 あなた「それは仕事が大変すぎて休んでも疲れが抜けないって言うことでしょ?」
自分の会話を振り返ってみると、相手が気持ちを話す前に必ずと言っていいほどこの自叙伝的反応、しちゃってました…
自叙伝反応=自分が思っていることを、相手もきっと思っているのだろう、と勝手に決めつけるような反応を人はしがちで、
自分の視力にあったメガネを相手に「このメガネは君にもぴったりのはずだよ」と押し付けるようなものです
その他、書籍の中では医者が診断をつける前に処方するようなもの、とも表現されています
「客観的」と言う言葉がありますが、人間死ぬまで自分以外の人生を体験することはできないから、主観でしか生きられなくて当然です…
しかし、それでも全力で相手を理解しようとする。相手の視力はどのくらいか、どのように世界が見えているのかを知ろうとする
この行動そのものが相手の信頼を勝ち取り、「この人は私のことをわかってくれようとしている」「この人なら信頼してもいいのかもしれない」「この人は私のことを裏切ったりしないかもしれない」と思ってもらえて、Win-Winに向かう大きな原動力になるんです
いかがでしたか?長文になり申し訳ない気持ちはありますが、それだけ「理解に徹する」ことは濃密で意義あるものなのではないかと感じました
自分の会話を振り返ってみても簡単にはいかない「共感による傾聴」だと思います
しかし、真の成功を目指して1日のうち1会話だけでも集中してこの傾聴をしてみたいと思いました
ではまた!
らこ太